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まむちみ

まむちみ

〇「民俗学」にハマった私。さっそく地元の民俗学会の方から学会の論文など借りてサラサラっと素読みしました。しかし「これは・・・ちがう。」と感じました。

〇石碑をきりもなく調べたり、農業道具や江戸時代の農家の生活などをこと細かに調べる内容が多いです。趣旨がちがいます。私が知りたいのは「重箱の隅にあるマニアックな知識」じゃなく、「日本人の歴史を、ルーツを知ること、またそれを考えること。」です。もちろん「実査するまでのバイク移動と歩き旅を楽しむこと。」も含まれています。

〇自分で探し旅したほうがいいと思い、とりあえずこういうものが残ってそうな場所に走ってみました。ホムセン箱にリュックを入れて背中の疲労感も激減した250TR。とりあえず110Kmほど走って

酒田港の夕日
(最上川河口に着きました)

〇雲があってサンセットが見れません。ここは酒田市日和山公園。昔の船乗りが天気を見に来たところらしいです。酒田は北前船の大貿易港。千石船がワンサカ港にあふれていたそうですが

千石船のレプリカ
(小さくないか、千石船)

〇実物大なのか。それにしちゃ小さいです。こんな船で外洋を走るのか、と思いきや「昔の船は陸を見ながら帆走してました。」とあります。でも、いくら近海走っても嵐になったらこんな船じゃ木っ端ミジンコっぽいです。

〇もっと大きいの作ったほうが安心安全、1回でいっぱい運べるし、なんでこんなちゃっちいのをわざわざ・・・としばらく考えてたら理由が分かりました。この船が現役だったのは江戸時代、鎖国してた時代です。外洋を走れる大型帆船作ったら国抜け出来ちゃうからだ、と自分なりに答えが出せました。とすると、この時代は船の大きさに幕府から規制制限がかかってたのかもしれませんね。

小鵜飼船
(小鵜飼船、と書かれてました)

〇こいつは伝馬船みたいなものです。最上川船運で使われたらしいです。50俵のコメを積載し、港から港、また船積みに重宝したと書いてあります。最上義光が作らせたそうです。また彼は最上川の難所を開削したりして、川交通のインフラに力を注いだそうです。「道路使えば簡単だろう、なんでわざわざ船にしたんだろ。」と思ったら、これは答えが簡単に出ました。当時の道路なんて今の畦道以下なんだろう、人1人通れればいいんだから、と。大量の物資を運ぶのは水運が1番だったんだと思います。それに山には熊や狼のほかに「山賊」なんかいたかもしれません。

〇街中を歩きましたが、案外古めかしいものがありそうでない。街の道路も碁盤の目状。きれいなものです。古い街なのになんで・・・と思ったら地元の飲食店経営者が即答してくれました。「焼けたから。酒田大火、あったでしょ。40年もたっちゃって今の若い人の中にはそんなの知らない、って答える人もいるけど・・・あの時繁華街のほとんどが焼けたから。昔はコチャコチャしてたのよ、この街は。」

〇鳥海山が一番きれいに見える時期です。缶コーヒーの「ジョージア」のエメラルドマウンテンマークみたいな山です。

5月の鳥海

〇今後は企画探検ツアーみたいなものがあったら、そこに混じって歩いてみたいと思います。「なんじゃこりゃ!」みたいなものに出会いたいですね。


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最終更新日2018-06-17
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