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まむちみ

まむちみ

〇私の息子は小さいころ本家の亡叔母にかわいがられており、よく秋口になると「栗拾いにおいで」と誘われていました。

〇叔母が亡くなってからは行き来は絶えましたが、そこで「九州から来たおじいちゃん」に会ったことを覚えています。

〇九州から来たおじいちゃんは、医者をしてたんですが、隠居後は息子に医院をまかせ、自分は全国各地をあそびまわり、秋になると毎年本家に遊びに来ていたそうです。

〇そのおじいちゃんが息子を膝に抱きながら「200年以上前に分かれたこの家の分家だ。お前は遠い親戚だ。」と言っていたそうです。

〇九州は宮崎県の高鍋町。東北の山奥と九州の海岸の街。200年前どんなつながりがあったのかは、すぐにわかりました。

〇今から200年前、秋月治憲は高鍋藩主の秋月家から養子として米沢藩に迎えられ、やがて当主となります。名君上杉鷹山の誕生です。前代重定の代にはあまりの借金に「藩を幕府へ返上したい」と泣きついた借金大藩米沢。組システムによる莫大な軍事費、歴代藩主の贅沢のほか、湯水のごとく金を使う吉良上野介(息子が上杉の養子)の借金の請負などが積み上がり「金盥に金カビさえ生えぬ」と陰口された米沢藩(吉良が大石内蔵助に討たれた時、「これで借金が減る」と米沢藩が安心したほど彼は金使いが荒かった、と聞きます)。

〇鷹山は門閥政治の打破と能力人事を推し進め、殖産興業に努めるかたわら、質素倹約を奨励した君主で、馬の骨の我が祖先もこの鷹山のおかげで藩医に昇進したり、増石を受けています。さらに江戸の小石川療養所(今でいう「虎ノ門病院」みたいなところです)に留学しており、地下の原方衆であっても鷹山は「能力」があればそれを「財産」として大切にしました。

〇「一汁一菜」の食事と「成せば成る 成さねばならぬ何事も ならぬはなさぬの至りなりけり」の志。鷹山の子供の代には全ての藩の借金を返済し、5,000両の備蓄まで作ったというからすごい話で、今でも上杉中興の祖として米沢市民の尊敬を受けています。

〇さて鷹山を迎えに行った米沢藩の一行。当然事前調査などあり、一団の上杉武士が高鍋に滞在したことでしょう。そんな一行のメンバーの1人だった家のご先祖が早速美しい娘を発見、惚れ込んでマスオさんになって九州に残ってしまった、こんな結論が導きだせます。惚れっぽいのは子孫の私も一緒です。遠距離恋愛もなんのそのの私でしたが、ご先祖はその先を行き、その地に住み着いてしまいました。さすがです。

〇その高鍋のおじいちゃんはこの頃とんとご無沙汰の様子。たぶん亡くなったのだと思います。その方は「自分の祖先は山形県の置賜地方の出身の上杉侍。」と聞かされていたそうで、隠居してからぶらり旅をし、苗字と家紋を頼りに土地の人々に聞きながらようやく本家を探し当てたようです。200年たっても家業は両家とも医師、というのもあり、同業者同士話も合って、毎年ぶらりと来ては飄々と滞在していた、というから面白いものだ、と思います。気さくな人のいい、春風のような人だった、と聞きます。

〇風来坊ぶりも遺伝子なのか、ご先祖の住居もひとつところにとどまらないため、ご先祖探しは難航を極めます。江戸、京都はもちろん、長崎留学者までいて、我が家の先祖探しの調査地区は日本全国に及びます。私のブラブラ好きも私1人責められるものではない、と自分を正当化する私です。

〇そんなこんなで2019年。気持ちも新たにご先祖探しを続けたい、と思います。高鍋のおじいちゃんのように一生懸命歩いて聞いてまた歩けばきっと見つかる、そう信じて調べてみます。


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最終更新日2019-01-03
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