メタボルマン

出羽国府を捜せ!ツーリング NO.2

○まむちみが以前唱えた「大石田、尾花沢が国府説」は郷土研究家の手によりもろくも崩れました。理由はこうです。「出羽国府が秋田城にあった時代は733年~780年くらい。この辺は不明。で尾花沢には大室塞という砦があり重要な防衛拠点だったが蝦夷の攻撃により陥落したのが780年。で780年には河辺府に国府が移転。つまり、尾花沢はない。」愕然とするところですが、こう励まされました。「城輪柵が国府ではない、というのには私も同感。また尾花沢は君も察した通り、陸奥と出羽の中継地点で要衝。ゆえに銀山越えのルートは陸奥国の按察使大野東人が軍を率いて開いたくらいだ。センスはいいよ。その調子でアタックしたら?」これにはニヤニヤしてしまいました。「でヒントをあげるよ。河辺府というのは秋田県の河辺?また887年に国府は井口というところにあり、とある。どれもよく分からん。河辺は川の近くという意味か地名か?また井口は地名すらない。日本海側を南下が主流論だが、内陸南下論も面白いね」とのことです。また「バイクで実査か?素晴らしいな!机の上より案外答えが出るかもだが・・・いっそ走破しきったらどうだ?もちろん歩きでだよ!平安人の気持ちでね!!」無理ですって、それ。

○羽州街道沿いに走ると、結構一里塚跡、残ってますね。残して保存してくれてる地元の方に感謝です。

新庄城
(最上氏の出城、沼田城。後に戸沢氏が入部し「新庄城」と改名したそうです。戸沢氏は今の秋田県から来たそうです)

○支城上がりのため、大変小ぶりですがきれいなお城です。平城ですが、この一帯は昔湿地だったそうで、案外攻めにくかったかもしれません。

○名物の「もつラーメン」を食ってスタミナをつけた後、さらにチンタラ羽州街道を北上。

戸沢家ご廟所
(戸沢氏御廟所。へんに着飾った瓦なんかよりずっといい)

○で、ここからが今回のツーリングの楽しみ。新道じゃなく旧道の13号線の方がバイクには絶対お勧めです。約16KMの峠でほとんど車通りはなく、ワインディング最高!路面状態もGOOD!旧主寝坂トンネルもいい感じ。昔はよく対向車のトラックを待ってたもんですね。

13号線 旧道
(右の緑の標識があるのが新道13号線。峠以外はほぼ並行して走ります。多分途中で鼻歌が出る気持ち良さです。)

○帰りも通ったけど、この道、やめらんねなっす。交通量、路面状況ともに北海道クラスです。


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出羽国府を捜せ!ツーリングNO.3

○雄勝で稲庭うどんを買ったり、ぶらぶらしているうちに、その日はもう暮れてしまいました。その夜はホテルから出て大曲探索。飯屋を捜すが街中は飲み屋ばかりです。秋田人は「飲む」とは知ってましたが、これほど飲み屋ばかりとは・・・結局ラーメンで夕飯。ひとり侘しく帰って4合瓶で晩酌。早々に寝付きます。

○翌朝起きると気温は4℃。寒すぎます。「しょうがねえな。あれ、やっか。」と準備開始。晩酌の飲み残しの日本酒をユニットバスに投入します。いわゆる「雪国の知恵」、酒風呂です。少量(150CC程度)でも充分です。風呂の温度はかなり熱めにします。こうすると日中湯冷めせずポカポカが続きます。指の先まであったかくなるので冷え性の女性にもおすすめです。酒風呂に入ると肌もすぐに赤くなりはじめ、5分で発汗します。何よりも入浴中に酒の匂いがぷーんとして「いいねえ」とリラックスします。ホテルに泊まるとたまにこれをやります。ただし上がる時は、体はきちんと洗って下さい。でないといろんな生き物が寄ってきます。

○リフレッシュ後、6:00にチェックアウト。気合で朝の冷気をつんざきながらバイクを走らせます。良かった、酒風呂入ってて。十分寒いっす。

○大曲から約10KM南下すると払田柵という大和朝廷の城跡があります。入口が分からず、斜面を登りきると

払田柵 鍛冶場
(鍛冶場跡らしい)

○少し歩くと

払田柵 政庁
(政庁跡発見!)

○で、政庁の正面から南面すると

払田柵 南門
(ここ国府じゃない?)

払田柵 建物
(官衙の何か倉庫みたいなものとか)

払田柵 北門
(四方に門があって)

払田柵 南門アップ
(南門だけ復元。しかしでかい。途中の道路に「この下に払田柵があります」ってあったし、なに、この規模は!)

○ということで、まむちみ的には「ここが出羽国府!」に決定しました。いや、あっけなかったなあ。やっぱり秋田城を放棄後は内陸に南下してたんだ。しかし、埋まった部分も合わせるとすごい規模です、ここの柵。どんだけ人が住んでたんでしょうか。

○とはいうものの、この払田柵は、かの研究家によると国府の可能性は薄いんだそうです。なんでも780年に河辺府に国府が移りますが、この払田柵の柵木の年輪数値では、柵木は800年~802年に建てられたそうで、移ってから20年以上たってるよ、おかしくない?蝦夷を恐れるならなおさら柵は早く建てるでしょう、とのことでした。また、この払田柵、実は本当は払田柵じゃなくて雄勝柵(これとは別な大和朝廷の城)だという説もあるよ、との話で、まあ難しいですね。

○柵木だって最初のは焼かれて発掘されているのは2回目の作り直した柵木かもしれない、とか考えるとここが国府でもいいじゃない?私の眼には「国府」に見えますね、と手前味噌になっていくうち、はっと気づきました。歴史研究家ってたくさんいるけど、こんな感じのいい加減な主観が入る余地は十分あって、それが真実を見えにくくしているのかもしれない、と気づきました。文献もないから邪馬台国はどこかと同じような論争状態。で、結局自分の故郷近くが「出羽国府!」これが人情ってもんなんでしょうね。まあ、そんなことはどうでもいいか。いずれにせよ、これは見る価値のある遺跡だと思います。ちなみに802年は阿弖流為が坂上田村麻呂に降伏した年にあたります。


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出羽国府を捜せ!ツーリングNO.4

○国府捜しも一段落ついたので、帰りがけに六郷の湧水地帯を見てみます。散歩中の近所のおとうさんが案内してくれました。

六郷の湧水その1
(ちょろちょろ湧き出ているのもあれば)

六郷の湧水その2
(生活水に使っているものも。飲んでみましたが・・・味は微妙です。)

六郷の湧水その3
(町のあちこちから湧き出てます。水不足は無縁でしょうね。せせらぎがいたるところから聞こえます。)

○のんびり1時間町を歩いた後、「後三年の役の舞台」となった金沢柵へ向かいます。

金沢柵西の丸入口
(こんな感じで親切ですが)

金沢柵西の丸
(本当の山城です)

金沢柵 武者溜
(かなり急な傾斜の壁面と郭ですね)

○800年代の払田柵。こちらはその約200年後の城です。なにがあったのでしょうか。東北にとんでもない戦乱の時代が来ていた証ですね。払田柵のこんもりした丘のような防御陣地はありません。

城壁
(なにをそれほど恐れていたのか。極めつけの人工急斜面。清原氏3年の内紛はさながら地獄絵。源義家も介入し一族は互いに惨殺を極めたと聞きます。そのせいか、勝利者であったはずの清原清衡はこの地と苗字を捨て、奥州平泉の藤原氏の始祖として、別天地に移り住みました。)

金沢柵 本丸
本丸城壁
(出羽俘囚最大の勢力、清原氏終焉の地です。これより前の前九年の役で、奥州俘囚最大の勢力である安倍氏も滅んでいます。蝦夷の大酋長の正当血統は完全に途絶えます。後三年の役をもって、中央政権による東北統治が完了したともいえます。)

○金沢柵は、東北人がかつて蝦夷と呼ばれた時代、蝦夷として最後の抵抗を行い、敗れた城跡です。長い目で見れば、西暦500年代から約500年かけて、朝廷は蝦夷討伐を継続的に行い、ついにこれを屈服させたと言えます。

○蝦夷というのは「野蛮な未開人」という意味の他に「勇敢なる者」という尊称の意味もあります。蘇我馬子が自分の子に蝦夷と名付けたことからも分かります。事実、蝦夷達は強力な戦闘力とプライドを持って最後まで朝廷に抵抗したわけです。明治維新の時も、最後まで幕府側に立ち武力抵抗したのが東北です。平時たくさんの賄いをもらってふんぞりがえっていた旗本御家人、しかもそれを数万人も擁していた江戸がすぐに降伏したのとはあまりにも対照的です。東北人はその強さと勇敢さを誇っていい、少なくともその遺伝子を持ってる、そう思います(残念ながらまむちみはご先祖が東北人ではないため、そこは誇れません・・・)。


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出羽国府を捜せ!ツーリングNO.5

○羽州街道沿いをチンタラ走ると言っても、結構しんどいものです。たとえば

羽州街道金沢
(集落の手前が羽州街道。集落の向こうが国道13号線)

○こんな感じで道路はたいがい狭いのです。それでもまだ平地はマシで峠は未だに雪で閉鎖のところが多く、5キロ行っては引き返したりしました。13号線なら5分の道のりも普通に倍はかかるところもあります。

○そんなこんなで無茶しているうちに、またしてもグラスホッパー君がネを上げはじめました。タンクを撫でたり、20分に1回休憩したりとご機嫌取りしないと、突然エンジンがバコバコ震えたり、ギアがニュートラに勝手に入ったりと駄々をこねます。替え時ですね。機嫌がいいと大和のキャブトンマフラーがレトロで渋い音色を奏でますが、そうじゃないときはたまに「ゲボボッ!」とか「ボコン!」とかゲップしてんのかお前は、と言いたくなるような不完全爆発を起こします。そんな時はハンドルを撫でて「お前は良くやってる!」と言ってあげます。今回はよく走った方です。2日で450KM。こいつには限界に近い距離でしたね。

横手城
(10:30横手到着。桜はまだ早いようです。)

○横手城に実は天守はなかったとはじめて知りました。歴史は結構古いようで、1600年までの約400年間、鎌倉御家人の小野寺氏がこの地に根を張ったそうです。また難攻不落の名城で知られ、最上軍の北進を3度、全てここでくいとめています。結果として横手以北の大名や豪族達の生命を「出羽の狐」から守った城となりました。真田丸とか上田城の東北版ですね。その後、小野寺氏は関ケ原で西軍についた咎で改易されました。

横手城本丸
(本丸跡地。秋田神社が建ってます。佐竹家の日の丸扇のような家紋が)

○横手城は関ヶ原の後、一時最上氏の預りでしたが、すぐに茨城から秋田に越してきた佐竹氏がこれを貰い受け城番を置いたようです。幕末に仙台、庄内両藩の攻撃で落城しました。

横手城展望台
(美しい町割り。城下町ですね)

○横手やきそばを2軒梯子してしまいました。かなり腹部膨満感です。あのモチモチしながら腰のある麺、独特の香ばしいソース、目玉焼きと福神漬けの絶妙なコンビネーション。いやー、やっぱりうまい!50軒以上の焼きそば屋があり、味は全てちがうそうです。横手よったら外せませんね、横手焼きそば。普通盛りなら2軒いけますが、大盛りだと2軒は無理です。あと25回はこなきゃ。


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出羽国府を捜せ!ツーリングNO.6

○十文字を過ぎさらに南下すると湯沢市に入ります。ここは「爛漫」をはじめ大きな酒蔵があると聞きます。バイク旅なので日中の酒はご法度。過ぎ去ります。湯沢に酒蔵が多いのは必然ですね。院内の鉱山が南に控えているからです。鉱夫の楽しみはどう考えても「酒と女と博打」と相場が決まってそうですもんね。今は廃坑です。

○さて、雄勝に戻って時間がある、じゃあ小野小町伝説をたどればもしかして国府候補地があるかも、ということで、日本全国どこにでもある「ここが小町の故郷だ 秋田県版」である雄勝を探索しました。場所はその名も「小野城跡」。旧街道を進みます。

雄物川
(雄物川沿い・・・河辺府か?強引にくくりつけます)

羽州街道 雄勝
(どこまでもワイルドな旧道。ちょっと山に入ると・・・すぐこれです。先に進めない程藪化している場所も多く、引き返すのが大変です)

小野城跡
(小野小町の生まれたところ。小町って・・・山猿?)

○河辺府に小町が住んでたのか、雄勝城に住んでたのか分かりませんが、なんか地図で見ると、今の雄勝と昔の雄勝は位置が違うような気がしますが「きのせい」でしょうか。このブログの最上三十三観音ツーリングの最終章に記載した通り、山形でもある時期から村山郡と最上郡がいつからか逆になり現在に至っています。昔の東山道の雄勝駅は羽後町の西馬内あたりにあるような気がします。もすこし北西。あのあたり、盆踊りも独特だしあるいは・・・雄勝の位置が今とはちがう、そんな気がします。だいたい小町って実在するんですかね。彼女も旅行好きなのか全国にゆかりの地、ありますね。結構同時代に出会ってたら気が合いそうな気がします。「へえぇー、物好きね、そんなところ鉄の馬で走ってんだ。私も後ろに乗せて!」とかすごい美人だったとしてですよ、そんなこと言われたら、間違いなくヘルメット買ってあげて後ろに乗せてこういったと思います「牛車に乗るより絶対たのしいぞ!」・・・どうでもいい話はこのへんでやめときます。

○「秋田の女性は美人=小町も秋田人」可能性は十分あるとして、人目につかなきゃ「あの娘、すごい美人だ」という話題にはなりません。となると国府生まれか?と考えると「ここじゃないかも」と思ってしまいます。どこなんだろ?


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