メタボルマン

家族サービスの旅 岩手その1

○3連休。子供は受験の中3。今年はこれが最後の家族旅行とばかりに、ついさっき岩手から帰ってきました。理由は、この休みで一番天気がもちそうな県だから(隣県はすべて雨マーク)・・・かなり安易です。

○岩手というとなかなか行く機会がありません。案外近そうで遠い。さらに・・・岩手はデカい。地理勘もありません。なかなかコース取りに苦労します。

○今回は家族旅なんで車でいきます。快適なんですが退屈な移動です。みんな朝早いので乗車早々寝てしまいます。パパだけドライバーで寝れません。

○高速から降りて厳美渓。一関市にあります。

厳美渓
(きれいな渓谷です。)

○役場の駐車場から600Mくらい。すぐです。小さい川ですがきれいです。

餅屋
(これなんだと思います?)

ロープだんご
(対岸からロープで渡し買いする団子)

○団子屋のロープ裁きのうまさはまさにプロ。お茶もタライに入ってくるんですが、全然こぼれず結構なスピードで入ってきます。みんなシャッターチャンスとばかりに団子を買っては写真撮り。これはいい商売です。

風流な川
(なかなか風流な川でした)

○で、腹も減ったんで、とりあえず盛岡へ。

盛岡
(昔からの街、という街並みです)

○ジャジャ麺となんとかスープ、食しましたが、まあなんですか、盛岡の人には「なつかしい味」なんだと思います。他県の人が食べると「味噌を絡めた、ただのうどん」なんだと思います。うまい、まずい、は別として、「安い」です。で、食べた後に「食べ終わった皿に卵入れてかき混ぜて!」というおばちゃんに皿を渡すとお湯を注いでくれます。それが「何とかスープ」。味噌味の卵湯ですね。

○店を出た後、妻に「どうよ?」と聞くと「おばちゃんが親切だった。」子供は「うん、満腹だよ。」との反応。「また食べたい?」と聞くとしばらく無言でしたが、「愛想がよくていい店だね!」と笑ってました。味はともかく、愛想は大事ですね。

○気分転換に盛岡城に登ります。小さな城です。南部氏20万石の居城です。

盛岡城 本丸
(ささやかな本丸。銅像の台座だけが残る)

○私はここの立て札を読んで初めて知ったのですが、南部氏は1597年まで、青森県の三戸を本拠地にしていたようです。つまり、盛岡に南部氏が本拠地を移したのはほとんど江戸時代に近くなってからのことらしく、「小さな城でOK!防御力もほとんどないけどOK!」の城になってるのはそんな理由からなんだろうな、と想像します。本当の南部氏の大型城塞を見たいと思ったら、三戸にいくしかなさそうです(残っていれば、の話ですが)。

○昼飯を食ったら小岩井農場です。
小岩井農場
(昔は子供がよちよち歩きで遊んだ広場。今ではすっかり・・・生意気になりました)

○「あの頃はかわいかった」「写真撮りまくってた」と妻と思い出話をするうちに、「なんか入場料値上がりしてない?」とか「あんまり牛乳おいしくなかった」とか、いつの間にか典型的なおっさんとおばちゃんの会話になります。年食ったなあ、と痛感します。ふと横顔を見ると、妻の色香も・・・褪せましたね(絶対、このブログ、妻に見せられません)。

牛乳車
(牛さんはみんな小屋にいました)

小岩井の建物
(日本最古の牧場です)


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家族サービスの旅 岩手その2

○今日はどんよりと曇り。雨まじりです。昨日も仕事の電話が2本入ります。因果な商売で土日や祝日という観念がないらしく、商談一発、相談一発、気が抜けません。よって気分も晴れません。妻も子もいつものことと、こんな時は2人でとっとと先を歩いて勝手に楽しんでくれます。ありがたいですね、仕事に理解がある家族というものは。どんなに遅く帰っても心配もせず鼾をかいて寝てくれてますし、深酒してフラフラになって帰っても、文句一ついいません。心の中でいつも感謝してます。バイクで一人旅してもほったらかしてくれますので、助かります。ただし、お土産品の献上は欠かせないですね。

○そんな中、ホテルの売店でいい本を見つけました。その名も「いわての温泉 パーフェクトガイド」。で副題に「こだわり温泉データ」が入ってるじゃありませんか。出版元も「岩手日報社」とかなりローカル。これはレア物と買いこみます。一泊3,000円台の安宿もあり、行けなくなった北海道の腹いせに、せめて東北一周やらかしてやる、との意気込みが形となってあらわれてしまいました。

○「あそこ最高につまんなかったけど・・・行ってみる?」と妻の提案で、「江刺 藤原の郷」へ。

模造の政庁
(模造の政庁。城輪柵の完成版ですね)

平安の街角
(平安の街角)

○で、ここからが以前なかった施設で

寝殿造
(模造貴族の屋敷。寝殿造りです。中に入ればロケセットや平安公家の着替えセットがあり、外人さんには大人気みたいな仕掛けあります)

平安マシン
(1牛力のおじゃるマシーン。車輪がデカい。チューンするなら車輪をメッキするとか、取っ手を螺鈿細工するとか楽しめそう)

○で、一番楽しめたのがこの方々で

うえたる鯉
(餌をやると跳ねるわ、折り重なって口をガバガバ開くわ、飢えまくってました。久しぶりに「ガツガツしたやつ」を見ました。草食系男子は必見。「鯉に学べ」です)

○結構楽しめてしまいました。かわりましたね、ここ。JAF会員になってると入館料安くなります。

○最後は帰路にある平泉へ。

中尊寺
(中尊寺。今日は偶然にも、清衡公の命日でした)

金色堂
(金色堂覆堂。金色堂本体は撮影禁止です)

○何度見ても金色堂はすごいと思います。今回は子供が自分から「平泉を見たい」と言いまして、行ったら行ったで「ここには神聖なものを感じる」なんて山道で何回か言ってましたから、パワースポットなのかもしれません。ちなみに私は何も感じませんでした。言わずとしれた世界遺産です。

○このブログにも記載しましたが、「金沢柵」で終焉を迎えた蝦夷俘囚の大酋長、清原一族の末裔である清原(藤原)清衡がこの地に降り立ち、再び「奥州藤原氏」として栄華を極めたのが平泉です。散歩ガテラに徒歩で15KMくらい歩けば、中尊寺他、ほとんどの施設が見れる感じに施設が収まってる感じですね。一度じっくり歩き回りたい地区です。ここに来ると「鎌倉武士って悪いやつ。義経かわいそう」に自然となってしまいますね。

○現実的な見方をしてしまえば、奥州藤原氏にとってみれば清衡の代は「金沢柵から逃げてきた甲斐があった。妻の実家の安倍氏も滅んだけど、源氏にたてついちゃだめだよねえ。俺の場合は義家に取り入ってゴマ摺ったから・・・なにせ、妻の実家を自分たちも攻めたわけだから・・・とりあえずここまでくれば一安心」だったと思います。三代目の秀衡は「例え妾腹でも義経は義朝の子。もし天下を取ったら、俺は後見人・・・となれば我が家は益々繁栄する。生まれはどうあれ、源氏の棟梁の子だから」ってことで、義経は平泉でお妾をたくさん置かれて半ば「種馬」状態にされてた、という現実がありました。最後の泰衡は「義経は禍になった。お家のために殺さなきゃ!今からは頼朝につかなきゃ!」で義経を殺しました。要は奥州藤原氏は生きるために源氏を利用してきたわけですけど、源氏にとってもそれは同じことで、前九年の役以来、さんざん清原(藤原)氏を使役した挙句、「もう用済み。君らは邪魔なだけ」と滅ぼした、というのが現実、と推測します。

○現代社会と同じで世の中甘くなかった中世の日本。生きるためなら手段を選ばなかった両家。そんな中で時の運が源氏に味方しただけ・・・なんでしょうが、平泉に来ると、どうしても「判官びいき」さらには「藤原びいき」になってしまいます。

○もし歴史にIFがあるなら・・・秀衡があと5年生きてたら、と考えると結構面白いですね。頼朝に追われた後も、最後まで義経を守ろうとした秀衡の真意には、こういう考えがあったのかもしれません。「どのみち源氏は我が家を滅ぼしにかかる。ならば戦上手の義経を大将に据えて一戦交えれば・・・あるいは・・・」と。こうなると、一気に鎌倉方が奥州勢を寄せ切れなかった場合、平泉の軍事力と資金力、義経の戦のうまさ、そして一部の鎌倉武将の義経贔屓、というかアンチ頼朝勢力、公家界の思惑が絡み合えば・・・歴史は変わったかもしれませんね。安易で拙速な泰衡が継いだため、今の日本史があるのかもしれません。

○今回の家族旅はメジャーなところを回ってみました。たまにこういう普通の観光地をまわっても面白いなあ、と思います。家族も満足そうだったので、まずは良かった、と思っています。ツーリングも・・・いい道いっぱいありそうです。


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岩手ぶらぶら

〇休暇。でも雨。迷いに迷った末、「ダメもとで行こう」と岩手をブラブラ。今帰ってきました。

〇今回の相棒はこちら。

足変わりのおもちゃ軽
(久々に使いました、ワゴンR。リッター24Kmとかなりの少食)

〇今回知ったこと。車移動だと絶えずムシャムシャお菓子とかゴクゴクジュースとか、太ります。メタボにはあまりよろしくない乗り物です。ほとんど雨天移動で歩く距離も短く、顔が食いすぎで脂ギッシュになりました。

〇行程は・・・昨日昼過ぎに山形市からR13で尾花沢市へ。そこから自動車道で県境を越えて湯沢市へ。そこで自動車道からR13におりて横手市に入りました。私はチープなトラベラー。緑の看板の道路は極力「無料供用中」と書かれた区間しか使いません。

〇国道107号線を通り岩手県の北上市でとっぷり真夜中になりました。同市の安宿を500円でおさえます(ここはいろんなポイントを使い割引をかまします)。

錦秋湖
(雨の錦秋湖。かなり寂しいです)

〇今日9:00に北上市を出て、一路遠野市へ。ここまでの道ももちろん無料区間を有効に活用します。岩手や宮城の三陸道の多くは、無料で利用できます。新しく出来た道でカーナビになくても「行くだけ行ってみる」、これ大事です。

遠野市1
(遠野市。民話の里です)

〇「とおの物語の館」に駐車します。チープキングを自称する私は、普通バイクで移動します。その際、自転車置き場に駐車するか、お土産屋でなにがしかの買い物をしたあと、店のおばちゃんと仲良くなりタダ停めさせてもらうんですが、今回は車。やっかいです。仕方なく駐車料金を払います。これだから車は足手まといなんです。ドラえもんのスモールライトが欲しいです。

〇語り部の昔話30分。なかなかおもしろかったです。訛りがいい。私は山形人なので8割は分かりました。北関東以北の方ならたいがい分かると思います。4話くらい一気に行きます。引き込まれました。

〇その後はセットになってる柳田国男の泊まった宿と彼の書斎を見ます。「民俗学」、とても興味深いものです。日本の忘れられかけてたものをつなぎ留めた人なんだろうな、と思いました。私は全然柳田の本って読んだことがないんですが、読んでみよう、と思いました。

〇余計な町内会活動とか、どうでもいい村の寄り合いはなくしていいものだけれど、祭りとか家庭風習とか、そういうのは残せるものは残したい、って思います。

遠野駅
(遠野駅)

〇街自体は大して見るものもありません。でも「あ、ここが化かし狐のいる神社ね」とか「ここが市が立ったとこね。」とか、昔話を聞いてからまわると面白いと思います。かつての交通の要衝です。2KMくらいの散歩で終了です。

〇次は釜石市に出ます。釜石と言えばラグビー。小さいころ松尾とか見て「かっこいい」と思いました。

鉄の歴史館
(釜石市立 鉄の歴史館)

〇江戸時代から鉄の生産地として手が入れられ、世界中に知られる街だそうです。鉄については何も知識がない私も、何となく概要がつかめました。勉強になります。ここはおすすめです。「新日鉄」がここに生まれた理由を学べます。

〇重厚長大産業というのは男の目からは単純に「かっこいい」産業で「国の根幹」をなす産業。「俺の作った鉄で高層ビルができてんだー!スカイツリーもうちの鉄つかってんだぞー!」なんていえるのが製鉄業ですね。

〇しかし、私もチープです。この頃は「おにぎり握って昼飯代浮かそうか」とまで考えてしまいます。でも朝弱いから無理そうです。

〇私はテレビの行き過ぎたスクープとか見ると、嫌悪感からその場でテレビを消しちゃいます。「人の不幸は蜜の味」って本気で思ってる人と出会ったことがあります。「どうしてそんなに悪くなれるんだ?」と聞いたところ「あんたなんかよりずっといろんな目にあってきたからよ!」と返されました。その時の私を睨んだヘビのような目、今でも思い出すと身震いします。心が貧しい人は怖くて哀れなものです。貧しいのは財布の中身くらいでちょうどいい、と思います。

釜石の風景
(雨霧でこれ以上の北上はあきらめます)

〇北上を断念したのがPM3:30。山形市まで下道6時間。今度はバイクで行きたいです。


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ご先祖探しの旅

〇皆さん、お墓を移したことがありますか。家も3年前に山形県のとある山奥から山形市に動かしました。父母の一大作業だったようです。

〇まずは手順としては本家に許可を得に行きます。次に墓地を管理する組合さんの許可を得にいきます。組合長がどこの誰かを調べるのに、その町の役場に行き、その人にあって事情を話す必要があります。次に墓守さんに事情を話しに行き、これまでの感謝を伝えるそうです。ここまでしてはじめて新しい墓地にお墓を建てます。大変ですね。

〇うちもその手順を踏んだようですが、墓守さんにあった時の話を聞きました。内容はこうです。「自分の先祖はずっとお宅の組下にいた。ここに来てから400年、ずっとお宅の墓守をしてきた。」と。そして以下の話が続きます。

〇「組」というのは、上杉家の軍事システムです。うちの本家の場合、32の「組下衆」の家があり、戦争になると、ここから50人ほど集めて弓や槍で武装させ、米沢の上司の家に行く「組頭」という役目です。上司の「侍頭」は何名かの組頭とその兵を束ねてどこぞの「家臣」へ、家臣は「殿様」へ、とピラミッド式の命令系統になります。これにより越後時代と同じ動員兵力、2万5千~3万を保持することができました。

〇ちなみに「組頭」以下の人たちは上杉家から給料が出ません。自給自足です。農家やったり商売やったり、普通に仕事をして食べています。うちの場合も例外にもれず祖父の代までずっと村医でした。それだけでは食べていけなかったので、山を歩いて薬草を採って売ったり、田んぼを貸して年貢をもらったり、借家を建てて家賃をもらったりしてほそぼそと食いつないできた、と聞いてます。それでも侍頭よりはましだった、と聞きます。

〇侍頭は副業を禁止され、給料も少ないため借金苦で火の車だった、と聞きます。本家の上司の侍頭の家の場合は、借金苦に米沢の屋敷を売り、うちの本家に逃げ込んできたので、借家住まいをさせたそうです。家を売り、刀を売り、誇りを捨て、部下に養われました。それでもましな方で、部下もみな貧しければ寄る場すらありませんでした。あとは一家離散と夜逃げが待つだけです。戦国最強と言われた越後武士団も、平和な江戸時代には「不要な軍事力」「不要な人材」となりました。それでも「組システム」を捨てなかった上杉は日本屈指の極貧藩となり、それは幕末まで続きました。

〇墓守の方も最近なくなったのか、本家の墓地は荒れ放題になっています。そのうち原野に戻るような気がします。

〇私もそうなんですが、自分ちのご先祖ってよくわかりません。ほとんどの日本人がそうだと思います。でも荒れ放題の本家のお墓を見て思います。「そのうち何にもわかんなくなるぞ。」と。私の孫くらいの代には「山形県の置賜地方のえらい田舎」からやってきたことすら分からなくなります。

〇じゃ、「先祖が分かってなんか得するのか?」というと、なにも得しませんし何も変わらないでしょう。でも、今少しでも手掛かりが残ってるうちじゃないと探せない。探しても面白いんじゃないか、と思います。今日から休日、気が向いたらはじめよう、と考えました。

〇手掛かりはほとんどないですね。家系図の写しが1本。それを頼りに行くしかないです。家系図は西暦でいうと1513年に「伊達稙宗より招聘」からはじまっています。伊達稙宗は伊達政宗の「ひい爺ちゃん」です。まずは福島県伊達市です。

〇もちろんバイクで楽しみます。そっちが主流といっていいでしょう。美味いものを食い、散歩する。堂々と、大義名分をもって、です。妻も今回は素直に承諾。「ご先祖さがしねえ・・・ま、みつかんないだろうけど、いいんじゃない?」妻の実家は、我が家と違い上杉侍の中でも素性がはっきりしている旧家です。「一汁一菜」「なせば成る」的気風がいまだに漂う妻の実家。昔なら「ぎゃくたま婚」です。ご先祖の血が騒ぐのか、私を敷きまくりです。朝起こすときなどは、振りかぶって面打ちで私の顔面を枕で叩きます。「ギャー!」という私の声に「たのしい」とつぶやきます。

〇全く分からないことを手探りを調べるから楽しい。さっそくバイクで出発です。今回は妻の恐い顔もないので堂々とトラバーユです。


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ご先祖探しの旅 福島県伊達市

〇いよいよご先祖探しの旅に出発です。

〇バイクは寒くて無理。よって車で行きました。

〇福島県散歩を兼ねつつ出発です。車旅はどうしてもチンタラ行ってしまいます。

〇国道113号線を東へ進みます。そこから小坂峠を越えて福島盆地に出ます。

紅葉の上戸沢宿
(紅葉がきれいです)

〇お稲荷があります。

萬蔵稲荷
(萬蔵稲荷だそうです)

どこまでも鳥居
(どこまでも鳥居。効きそうです)

〇下戸沢宿もいい感じです。

下戸沢宿

〇七ヶ宿の道の駅の裏にある、「水と歴史の館」にもよります。ここにはダムで沈んだ渡良瀬宿や、昔の七ヶ宿の絵や写真があります。いいです。「稲子」という集落の「山守足軽の里」特設展をしていました。

〇山守足軽とは、領地のいざこざがあった地区に10家族くらいの足軽を住まわせ、領界警備をさせた仙台藩の習わしで「こんな山の中になんで人住んでんの?」というようなところに住んでいたようです。イノシシ食ったり、小さく田畑やったり。屯田兵みたいな感じです。昭和30年代の稲子集落の写真がありましたが「江戸時代?」という感じの風景です。車も当然いけません。妊婦さんが羽州街道沿いの湯原の病院で診察を受けるため、山道を歩く写真もありました。カンジキ履いて雪の中蓑つけて山道を往復16KMです。若い女性が、です。山守足軽一族、すごすぎます。

信達盆地
(小坂峠からみる信達盆地)

〇慶応新道、旧羽州街道、どちらも麓から登れるようです。旧羽州街道側は「産坂」と呼ばれ、お産の苦しみと同じくらいきつい坂だそうです。1度上りたいです。楽しそうです。

〇と、私は何をやってたんでしょう。ご先祖探しの旅がただのドライブで終わりました。


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