旧奥州街道を歩く (日本橋から浅草橋まで)
〇念願の奥州街道を歩いてみました。
〇今回は「たまに東京行きたい!」というの妻の発案に便乗です。田舎暮らしは井蛙になりがちで、世の流れから取り残されていきます。「東京の風」を受けることは貴重です。
〇とはいうものの、私の散歩に付き合ってくれる時間は2時間程度。原宿に行き、アメ横に行き、浅草に行かねばなりません。息子と妻の時間になるわけで、「おとう」の時間は非常に短いのです。
(久々の日本橋です)
〇南下すれば東海道ですが、奥州街道は北上します。
(三越前。国道4号線の起点にして奥州街道のはじまりです)
〇「すっげービル!なにここ?すっげー!」素直に感動する息子。都会に圧倒されています。
〇しばらく行くと、横田の問屋街に出ます。
〇「ちょっとー。こういうとこいいよね。山形にも欲しいよね!」妻も楽しそう。このまま浅草まで歩いてくれればいいけど、と思った矢先に「足痛い。やめよっか、散歩。なんか右足、調子悪いのよね。」・・・まだ1時間も歩いてないのに・・・
(神田川と屋台船。浅草橋で打ち止めです)
〇本日の奥州街道散歩は・・・2.5KM。妻の足の不調で打ち切りです。でもその後、表参道や御徒町をグイグイ闊歩していました。今度は1人で来ようと胸中密かに誓った私です。
(アメ横)
〇東京はいつもお祭りみたいな人だかり。楽しい街です。
〇脱線しますが、東京にまともな一戸建てを持てる時代の到来まであと10年、と私は見ています。田舎は言うにおよばす、都市部すら地価は今の半値以下に暴落する、というのが私の勝手な推測です。理由は簡単です。土地は維持費(税金)がかかる。でも「必要だから税金を払ってでも持つ」のが土地です。「投機のために土地を持つ」時代はバブルあたりで終わりました。
〇かつて日本は急激に、のちに緩やかに物価上昇が続きました。ということは貨幣の現在価値は下がり続けた、ということです。つまり預金しても手銭で貯めても、お金をそのままにしておくと毎年財産が目減りしていたのがちょっと前までの日本です。でもそんな時代、物価上昇率以上に価格が安定して上昇したのが唯一「地価」だったから、お金持ちはお金を不動産に変えていました。転売できそうにない土地には賃貸物件を建てて維持費をまかない、相続税回避のためガンガン建物の借金をしました。そうやって財産の目減りを防いでいたのです。積極的な買いが入れば需要が増えて、さらに地価が上がります。
〇今はデフレが長く続き、人口減少と固定資産税負担、さらに若い世代の冷静な判断力もあり、不動産は大局的に供給過剰を免れなくなります。「手持ちしてても売れないし儲からない」ならお金持ちの投機手段からも外れます。手を出すのは外人くらいになります。特に田舎の土地はタダ同然と思います。お金を払うどころかもらったって欲しくない、というような土地がドンドン増えると思います。高齢化が進む寒村は相続すらしない、地公体に寄付、そんな土地がゴロゴロ転がり、市町村役場などもその応対に苦労する状況になる、そんな気がします。
〇世界の国を見ても、新興国の経済成長の第一歩は「地価の高騰」からはじまりますが、成熟すると落ち着きます。「歴史は繰り返す」ものみたいです。その後は分からないんですが、土地が需給バランスで成り立つ「値段なんてないもの。その時の相場が決めるもの」だとすれば、日本の場合、安くなる要因はあっても高くなる要因がない、と思います。
〇脱線しすぎました。今度は浅草橋から本格的に歩こうと思います。近いうちまた行きたいです。
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