旧奥州街道を歩く 白河宿~踏瀬宿
〇1/14、仙台から新幹線に乗って新白河、鈍行で白河駅へとつないだ私。
(12:08 白河駅)
〇このブログでもご紹介した通り、福島県白河市は東北の南端で、昔は「白河の関」がありました。今日は、その関所の街から北上、昔人が通った「奥州の入口」を歩いてみました。
〇駅を出たらザックに水を1リットル詰め込み、E-TREXにGPS情報を感知させながら準備運動をします。ペーパーの地図を順番にポッケに折り入れ、タバコに火をつけ方角と距離を確かめます。5分ほどのいつもの準備のひと時がこれからの散歩を盛り上げてくれます。
(12:12 白河駅前通り)
〇新幹線駅から1駅ですが、結構離れているのがこの街。旧市街は小ぎれいで、コマコマした通りが心地良いと思います。
(12:14 白河本陣付近)
〇昔からのこじんまりした商店が並びます。雪がまったくないですね。
(12:34 小峰城の北の守り、阿武隈川を越え城下町を出ます)
〇女石を越え、白河の北の小高い山を越えます。この麓に
(12:47 仙台藩士の慰霊碑)
〇白河は戊辰戦争の激戦地です。会津と仙台に道が分岐する交通の要衝でもあります。小峰城奪還を図った奥羽越列藩同盟軍と官軍が戦った白河。仙台藩の細谷直英が率いる「衝撃隊」は黒装束に刀槍を振るい夜戦で活躍、「鴉組」と呼ばれ恐れられたそうです。棚倉藩士の部隊「十六ささげ」と並ぶその勇猛さから「細谷からすと十六ささげ なけりゃ官軍高枕」とうたわれたと書いてあります。「十六ささげ」とかいうとなんか今流行りの「鬼滅の刃」の「十二鬼付」みたいですね。
(12:49 遊女の慰霊碑)
〇武士のみならず民間人にも被害が出た戊辰戦争。こちらは遊女志げ女の碑、とあります。旅館に抱えられていた彼女は官軍の世良修蔵(総督参謀)の脱出を助けたとして会津藩士に殺害されたそうです。同僚の下男がこの会津武士を追い仇を討ったと書かれています。世良修蔵は大悪人の聞こえが高い人ですが、彼が参謀にならなくても、いずれにせよ会津は攻められていたと思います。「新撰組のパトロンの無血開城降伏」は長州が許さなかった、と思います。
〇はじめから倒幕に動いた長州という藩は私個人としては筋を通した藩だと思います。でも福島の方の薩長嫌いは長く続きます。今はどうか分かりませんが、30年ほど前、私の山口県の友人が東北に遊びに来た時、「会津に行ったら出身県を言うな。」とくぎを刺しておきました。後に彼は言いました。「助かったよ。教えてもらえんかったらやばかったかもしれん。」と。
〇約150年前、福島県の各地で激しい戦があり武士も民間人もたくさんの人がなくなりました。「皇室にも幕府にも誠意を尽くした会津がなぜ攻められるのか?正義とはなにか?」という問いに「力だ。」と答えた当時の世相がありました。20世紀の現代も残念ながらそうですね。力が正義。理不尽という思いと怒り、同時に「悪の薩長」という気風が根強く残りました。でも、長州もつらい時代がありました。「異国船打ち払い令」を実施した藩でありながらその命令を出した幕府から討伐を受けます。「なぜ長州が攻められるのか?正義とは何か?」その理不尽さを感じたのは長州も一緒。途中で裏切った薩摩や穀潰しだった江戸の旗本はそもそも論外として、「戊辰戦争とはなにか?」と考えた時、長州と会津に住む謹直で一本気で心熱い男達が互いの意地でぶつかった戦争なんだ、と私は思います。だから、仲良くして欲しいと思います。似た者同士なんだと思います(会津の人に怒られそうです)。
〇奥州街道とは、官軍が列藩同盟と闘いながら北上した道であり、手負いの東北兵が退いた道でもあります。
〇国道4号線と少し合流。また離れます。
(12:58 国道4号線を横切る。根田宿入口)
〇奥州街道といっても江戸時代に「奥州道中」と呼ばれ、幕府の奉行が管理したのは江戸から白河まで。白河以北は主に伊達家がスポンサーで道を整備してたりします。だから宿場間の距離もかなりまちまちです。白河からすぐ北の宿駅は間隔が短く、田んぼ道を歩くと集落が突然出てきて、宿場みたい、と思うとだいたい宿場町、みたいな感じの作りになっています。
(12:59 根田宿の入口にたたずむそば屋の廃屋。かつては旅人で賑わったのであろうと思います)
(13:14 根田宿本陣付近)
〇泉田に出て歩いていくと、道が山の中で切れている場所が地図にあります。バイクなら近くまで行きますが、歩き旅は大迂回が必要となる場合があるので国道に出て安全策をとります。
(13:48 小田川宿に入る)
(14:16 小田の里付近)
〇山合いを抜ける街道。と、
(14:18 首切り地蔵)
〇伊達藩の赤胴三五平という武士が夜ここを通ると美人に会ったそうです。それを「さては妖怪!」と真剣ではなく竹光で斬ったそうです。その後、帰りに再びここを通ったら地蔵の首が転げ落ちてたそうです。だから首切り地蔵。昭和40年代まで首は落ちてたらしいんですが、いつの間にかつながって今に至る、とのことです。ちょっと怖い話です。地蔵真言を唱えお祈りします。
(14:26 太田川宿)
(14:39 太田川の切通し)
〇昔人の苦労を思いながら抜けていきます。
(14:42 四ツ屋前)
(14:43 四ツ屋前の集落)
〇今回で一番の奥州街道風情を残す集落です。犬の鳴き声がします。廃村でなく、本物の街道筋の人家です。少し感動します。箱根越えを思いだすような、そんな風情です。
(14:53 踏瀬宿)
〇白河からここまで4つの宿場を越えてきました。陽はまだ落ちません。ここから先、行けるところまで行こうとさらに北上を続けてみました。
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